テクニカルライターが働きながら学ぶ大学院を紹介します

こんにちは。テクニカルコミュニケーションチームの澤井です。 今回はInside Outとしては珍しく、働きながら、仕事に関する知識を大学院で学ぶという活動について紹介したいと思います。ちょっと長いですが、同じようなことを始めたいと思っている方の参考になれば嬉しいです。

ちなみに先日、LINEさんのTechnical Writing Meetupにて、同じテーマでお話をさせていただきました。下記から動画が視聴できますので、興味のある方はぜひご覧ください👀

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大学院を始めるきっかけ

私は2018年に中途採用でサイボウズに入社しました。前職はベンチャーで、1年ほどマニュアルを書いたりもしていましたが、その前には長く専業主婦をしていたこともあり、テクニカルライターとしての職務経験はほとんどない状態でした。 実際にサイボウズでテクニカルライターとして働き始めると、製品にまつわる知識のほかに、知っておくべきことがたくさんあることに気が付きました。代表的なものとしては以下です。

  • Webやマークアップ言語に関する知識
  • コンテンツ設計
  • 翻訳管理の手法

こういった知識は、普段の業務の中で必要なことを都度調べながら進めるのが一般的です。しかし、それだと眼の前の課題を小さく解決して満足する結果になりがちで、「なぜそれをやるのか、またそれは最善なのか」といった視点が自分には不足しているなと感じていました。また、TCの仕事は変化が激しく、常に新しい手法を学んで取り入れる必要がありますが、そのためには、専門家の話を聞く機会を増やしたり、英語の読み書きをする力をつけたりすることも必要になると感じていました。

そんなある日、Twitterで、テクニカルコミュニケーション分野の大学院があることを知りました。

カリキュラムを見てみると「TCで必要な知識がたくさん詰まっている…!」という感じで、とても興味がわきました。大学はフランスにありますが、完全オンラインで、生徒が働いていることを前提に作られているとのことで参加しやすそうです。プログラムがすべて英語で提供されることを除いては…。

申し込みから開始まで

すべて英語という点が気にかかりつつも「簡単な選考があるようなので、一回受けて落ちてみると、何を勉強して準備すればいいのか分かるのでは」と考え、ひとまず受けてみようと申込みをしました。(ちなみに私はドラクエをやるとき、レベルが上がりきっていないのにとりあえず全滅覚悟でラスボスのところに行ってみるタイプです。)

入学の審査は書類選考と面接でした。面接ではSkypeで、ドイツに住んでいるプログラムディレクターの先生と30分ほどお話ししました。緊張したのですが、とても話しやすい先生で「あなたの仕事内容とこのプログラムは、完璧にマッチしている」と、その場で入学を認めてもらいました。ちなみにこの時点では英語を話すのはとても苦手で、ほとんど「Yes」しか言えていなかったと思います。面接では、英語が苦手な私のために、どのようなスケジュールで受講するのが最善かというアドバイスもしてもらいました。そして「私はドイツ人だけど、英語を話せます。この職種で英語が使えることはとても大事ですよ!」と発破をかけてもらいました。

ちょうど世の中がコロナ禍に突入した頃で、子供と家でどのように過ごしているか話したことが印象に残りました。

授業の内容、先生や生徒の雰囲気

講義内容などの具体的な紹介をしていきます。

授業の内容

民間のeラーニングと大学の講義の2本立て

授業は大きく分けて下記の2種類があります。

  • tekom Certification(ドイツの民間団体のテクニカルライター向けeラーニング)

  • ストラスブール大学の講義

スケジュールにあるように、最初の1年はtekomの認定資格を目指すeラーニングのみをやりました。人によっては大学の講義とtekomを同時に履修することで履修期間を短くする人もいるそうですが、私は「まずtekomに専念し、その間に英語も勉強すると良い」という先生のアドバイスに従いました。

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授業スケジュール

これとは別に修士論文の準備もありますが、これは人によって取り組む時期がまちまちなので、説明は割愛します。

大学の講義の形式

tekomは完全なeラーニングで、講義などもなく、毎週ひたすら数十ページの資料を読むことを8ヶ月間続けました。(つらかった)。

大学の講義は、以下のような感じです。

  • 1つの授業の受講期間は約3ヶ月
  • 同時期に3つくらい並行して受講
  • 動画や資料を使って自分のペースで学習する
  • ライブ授業が期間中に2,3回。すべて録画・公開される

ライブ授業はヨーロッパ時間(CET)の19時頃が多いので、日本は深夜になってしまい、後から録画を確認することが多かったです。先生によっては時差を考慮して、同じ内容で朝・夜の2回講義をしてくれる人もいます。

先生や生徒の雰囲気

先生

翻訳会社勤務、コンテンツ戦略のコンサルタント、プログラマーなど、実際にその職に就いている人が、仕事の傍らで大学で講義を持っています。日々、現場を経験している人たちなので、講義の内容もとても実践的で、実際に遭遇した事例をケーススタディとして使い「この問題はどうすれば回避できるか?」のような対話形式で進む講義が多いです。

生徒

生徒の属性はおもに4種類で、

  • テクニカルライター
  • 翻訳者
  • 翻訳会社PM
  • これらの職種にキャリアチェンジしたい人

に分かれていました。フルタイムの仕事を持ちながら学びに来ている人が多かったですが、「今は小さい子を育てていて、仕事にはついていない」という人もいました。 国別で見ると、ストラスブール(フランスの、ドイツ国境付近)という土地柄もあり、フランスとドイツから受講している人が約半分ほど。残りの半分は、その他のヨーロッパ諸国、北米、南米、中東、アジアなど世界中から集まっています。日本人は、講座が始まって以来、私が一人目の生徒だそうです。

英語でやれるもの?

記事を読んでいる方の中には「大学院、興味あるけど英語が自信ないよ~」という人もいかもしれません。実際、どれくらいできればついていけるのか、体感をざっくり書いてみたいと思います。(私の受講しているMaster TCLocに限定した話であることをご了承ください。)

入学に必要なレベル

面接でほとんど「Yes」しか言えなかったと書きましたが、大学院入学の前の年に受けたTOEICは900弱くらいでした。分かりやすさのためにスコアを書いてみましたが、これがすべてではなく「英語で話しかけられて、何を言われているかは分かる」「英語のミーティングで、半分くらいは内容が理解できる」ぐらいが基準になるのではないかと思います。(半分分かってるかどうかは自分でポジティブに判断する)

卒業に必要なレベル

tekomのeラーニングは、受講期間の最後に90分の筆記試験と60分の口頭試験があり、まずはこれをパスすることが目標になります。口頭試験では「マニュアルの典型的な章と、その内容を5つ答えなさい」「翻訳メモリを使うことの利点は何か」のような質問をされ、口頭で簡潔に答える必要があります。

次の大きなハードルは、修士論文を書くことと、その口頭試問を乗り切ることです。tekomの試験よりも頑張る必要がありそうですが、今後やるものなので詳しい紹介は控えたいと思います。(Master TCLocでは、修士論文に求められる長さは、一般的な、その後博士課程に進む希望がある人の修士論文に比べると1/3から1/4程度なので、どうにかなるのではないかと期待しています…!)

落差をどう埋める?

なんとかなります。入学時の面接ではほぼ「Yes」しか言えませんでしたが、tekomの口頭試験の前にオンライン英会話などで練習することでパスすることができました。人間、差し迫った目標があるほうがやれるのだなという感想です。その後のレポートや口頭試験なども、今のところなんとかなっています。 「英語を学ぶ」よりも「英語で学ぶ」ほうが、専門と英語を同時に学ぶことができて効率が良い面がある気がしています。

とはいえ上記は「最低限、単位をとるための英語力」の話で、欲を言えばきりがありません。入学した頃にくらべてかなり力はついたように感じますが、一方で、同級生は(英語が母語の人はほとんどいないのに)とても流暢に話せる人が多く、その中にいると自分だけ幼稚園児になったような気持ちになります。「もっと英語が話せればいろんな話ができるのに」と思う場面も多いです。しかし、そのような気持ちになる機会を持てたことも良かったことではないかと感じています。

個人的に面白かった授業3選

面白かった授業について紹介します。

Project Management

この授業では、Project Managementの座学を学んだあと、生徒を4,5名ずつのグループに分けて、擬似的なプロジェクトを実際に行います。プロジェクトで実施するテーマは生徒全員が提案し、投票で決めます。実際に採用されたテーマの例を紹介すると「UIテキストのスタイルガイドを作る」「Word文書をCMS(Content Management System)に移行する」などです。

私は、私を含め4人のTeam Dingosに所属しています。私以外のメンバーはインド人、コロンビア人、フランス人で、インド人がチームリーダーです。このメンバーでWBS(Work Breakdown Structure)を作り、AsanaやSlackでコミュニケーションしながらプロジェクトを進めています。

ここでも私は幼稚園児の英語で頑張っていますが、メンバーはみな優しく「ミーティングの司会やってみなよ。いいじゃん、僕らしかいないんだから。サポートするよ!」みたいな感じで、学びの機会をもらっています。

Localization

Localizationのテーマだけで、2人の先生から3つの講義を受けました。そのうちの2つを紹介します。ヨーロッパは翻訳産業が多く集まっている地域で、Localizationの授業の質の高さはMaster TCLocの特色になっていると思います。

  • 翻訳プロジェクトの進め方、ベンダーコミュニケーション

    この授業では、翻訳者からキャリアをスタートし、今は翻訳会社を経営している先生が、翻訳プロジェクトに関する実践的な知識を教えてくれます。翻訳関連の用語や価格の算出方法などから始まり、ケーススタディを通して「どのような事前準備をすれば問題を回避できるか」といったテーマをさまざまな角度から考察します。

    最後の試験では、先生(顧客役)と生徒(翻訳会社PM役)の2人で20分間のロールプレイをし、適切な会話をして商談をまとめます。

  • ソフトウェアの多言語ローカライズ

    この授業は個人的に一番面白かったです。Android Studio(Androidアプリの開発環境)を使い、サンプルアプリのソースコードを見ながら多言語化に関するトピック(String metadata, String pluralization, Continuous localization など)を先生が解説します。CAT(翻訳支援)ツールと行き来しながら、翻訳先言語を1つ追加してみるハンズオンも行いました。

    期末のレポートは、多言語化されていないサンプルアプリをAndroid Studioに入れ、「『このアプリを多言語化して』と頼まれたら、どこに手を加える必要がありますか。私を依頼元の部署の人だと思って、必要事項を書き出し、説得するレポートを書いてください」というものでした。

How to Create Instructional Videos

この授業は卒業に必須の単位には含まれないのですが、このような選択式の授業にも面白いものがいくつかありました。この授業では、国際的なIT企業のオンラインヘルプの運用経験を持つ先生が、ソフトウェアの操作解説動画に関する講義をしてくれました。

こういった授業を聞いていて思うのは、先人に「このように作れば後でメンテナンスが楽だ」「こういうものを作るとユーザーはこのような違和感を持つ」といった知見を聞く大切さです。まして外国人の先生なので日本の会社で働いている私とは発想が異なる部分もあり、とても参考になりました。授業では、実際に動画を作るハンズオンを先生に見せてもらったあと、自分で作った動画を提出して講評してもらいました。

ちなみに、この授業で使用したCamtasiaという動画制作ソフトをチームにも導入し、Garoonの操作解説の動画を実際に作っています。

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その他

2021年9月現在、まだ授業期間が続いており、9月に開講する授業が2つあります。Plain LanguageとContent Strategyというタイトルですが、どちらも面白そうな内容なので、別の機会で紹介したいと思います。

やってみてよかったこと

大小さまざまのやってみてよかったことがありますが、思いつくままに並べてみます。

  • 業務に即座に還元できるような知識を得られる

    動画制作に関する講義では、教わった内容がちょうどチームでやりたいことと一致していたので、授業の内容を要約してチーム内で勉強会を開催し、同じソフトウェアを導入しました。実際に操作解説動画を作り、ヘルプサイトに設置することもできました。

    その他、Terminology(用語管理)に関する講義を参考に用語管理のソフトウェアを選定、導入することもできました。

  • 専門家に直接教われ、視野が広がる

    とはいえ、学ぶことの大半は「明日仕事で使える」といったものではありません。それでも、各分野の専門家に直接教わり、さまざまな視点からの考え方を知ることは、仕事にとってもキャリアにとっても長期的にプラスになると感じます。

  • (やりきれば)修士号を取得できる

    業務に関する知識を勉強するのに、どこかの企業が行っている数日の研修に行くのも悪くはないですが、最後に修士号がもらえるのってちょっとすごいですよね。ある程度の専門性の証にもなるので、将来、転職活動をすることになっても有利になるのではないかと感じます。

  • 同じ職種の人と交流できる

    同級生と試験前に情報を交換したり、一緒にグループワークをしたり、けっこう楽しく過ごせています。(幼稚園レベルでない英語力だったらもっと良かったなとは思いますが。)雑談の場で「こんな求職に申し込んで、こんな給与交渉をした」など普段の仕事では得られないインプットもたくさんあり、良い刺激になっています。

  • 英語はかなり鍛えられる

    これだけ英語を毎日使うとさすがに慣れて、英語の記事やウェビナーに対する抵抗がだいぶ減りました。会話に関しては、面接時にはほとんど「Yes」しか言えず、会話の機会があるたびにとても緊張していましたが、今は「相手の言っていることは分かるし、自分の語彙を総動員してなんとか最低限の返答はできる。単語がわからなければ、ちょっと待ってねと言いながらその場で辞書をひいてもいい」のような気持ちで構えられるようになりました。

おわりに

大学院を始めるにあたって、テクニカルコミュニケーションチームのメンバーには、さまざまなサポートをしてもらいました。具体的には、時短勤務(週30時間)にすることを快く認めてもらう、関係者の多いディレクション的な業務から外してもらい、自分のペースで進められるタスクをアサインしてもらう、といったところが特にありがたかったです。(応援する!がんばって!のような声かけも嬉しかったです。)授業も、業務時間中に(業務として)参加させてもらうこともありました。こういったすべてのサポートに感謝しています。

卒業までまだ少し期間が残っていますが、無事終わらせた暁には、学んだことを仕事に反映していきたいと思っています。